管理人”てん”の送る日々・・ 一覧はこちらから


まずはお詫びから。12月28日から1月13日まで注文いただいたメールが届かないといった不具合がありまして、大変ご迷惑をおかけしました。
現在は別のプロバイダ(T−Online)にて、正常に稼動しています。原因追及のため、このページの更新も滞ってしまい合わせてお詫び申し上げます。

そんで、ここから本文。
先日、私がいつもお世話になっているスージーさんというとても親切な人よりファミコンをいただきました。しかも小生が求めていたものそのまんま、これ



しかもなぜか新品。驚く無かれ昭和61年購入の保証書付、完全未使用。
コレクター魂が熱くなった一品です。

スージーさん、あなたは神です。本当にありがとうございました!

・・・・・と、別にファミコンをしていて管理を怠っていた訳ではありませんので誤解の無いように。
実は小生、テレビゲームはあまりしません。ほとんどのゲーム機は手元にありますが、ほとんどがコレクションでほんとにゲームはしません。
なぜかというと、これらは大切な思い出の品的価値観が小生の中に存在していて、ここで今それをやってしまうと必ず悲しくなってしまう事を知っているからで、
何故、悲しくなるかというと、それは思い出によって、美化された過去の記憶と現実に大きな格差が生じるからだと思います。

小生は小学生の頃、毎日駄菓子屋さんに通って”バナナチョコ”(10円)なるものを買って食べていました。当時の小生は「この世の中にこれに勝る物なし。」というくらい”バナナチョコ”を愛していた訳ですが、中学生になり、高校生になり駄菓子やなんぞの存在すら忘れていたある日、ふと、”バナナチョコ”を思い出しその足で駄菓子やに向かい未だに自分の事を覚えていてくれた駄菓子やのおばあちゃんにも感動しつつ、20円になったバナナチョコを10本買ってワクワク気分で家路に着きました。


てん : いやー久しぶりだなあー、お前も出世したもんだ、今では20円になりやがって、・・・お前の株買っとけば倍になっっていたのかー(笑)

バナナチョコ: ・・・・・・・・。


てん : そんじゃ、さっそくだけど、いただきます。パクリ。

てん :んんんー。不味い・・・・・


最初は値段とともに味も変わったのかな?と真剣に考えましたがどうやらそうではないらしい。そうです、小生の味覚が変わったのです、食べ物に限らず時間とともにより良いものを知ってしまった人間はこの知性の悲しみというものに囚われ、自分の思い出を含めたそれを一瞬のうちに自らが否定し悲しみに囚われてしまうのです。皆さんにもこんな記憶があることだろうと思います。

知性の悲しみとはつまり人が成長するにあたって様々な情報を脳に蓄積していった結果、その都度書き換えられるはずの自分の中での価値観が思い出とともにそのまま残ってしまうからその現実と直面したとき、一種の悲しみに囚われるのである。と考えるとそれを回避するにはその現実と向き合わなければ言い訳で、それはつまり昔は時間を忘れて遊んでいたファミコンをしなければいいのです。やって、なんでこんなもん面白いと思っていたんだろう?と悲しむより、手元に置いてゲームせず思い出の中でプレイする。これが小生の結論です。

お前はあほか?と言われることも解っています、でもやらない。だって、1度やってしまうとおそらく捨ててしまいそうになるから・・・
スージーさん、でもいつか必ずプレイする時が来ると思います。小生自身もっと成長して他の最新ゲーム機などと比べないでそのもの自体の素晴らしさを本当に理解するその日まで、大切にしまって置くつもりです。


別の話

情報というものについて考えてみました。最近ではインターネットなんかで欲しい情報がすぐ手に入る反面、欲しく無い情報も溢れています、小生が思うに、今知らなくても良い情報を知ってしまうことによりその後悲しみに囚われてしまう事が最近多いのでは?と。それはつまり、

てん: 今日はパリへお出かけー♪ エッフェル塔観なくちゃ!

到着

てん: 写真で観たのと一緒だー。わーい。確か1989年万国博の記念塔として、エッフェルさんが建てて、確か307メートルで・・・・・・ってちょっと待てよ?


実際はパリはおろかフランスに行ったことすらありませんけど・・・(脳内パリということで・・)

もし、ここで小生が過去にエッフェル塔の写真を見たことが無く、余計な知識ももたずにたまたま立ち寄ったパリの街で本物を見たとしたらどう思うのだろう?
というか、どちらがより感動できるのだろう?と。
いや、まてよ、これがノイシュバンシュタインだとして、日本から一歩も出たことの無いうちのばあちゃんをつれてきて見せたら、小生が過去に見たそれとどちらが印象に残るつまり感動を受けるのだろうか?と。いや、これは個人差があるから比べようが無いか・・
だったら、小生が何も知らないとして・・小生がその存在自体の情報が無ければそこにいけないだろうし、行くことも出来ない。知らないのだから、ただ知ってしまうと、その情報によって感動が薄れてしまうのではないか?ふむ。でも人間には知的欲求を本能として持っている限り常に何か新しいものを知りたくなるだろうし、でも知ってしまうと・・・以下省略。

何故、こんな事を考えるかというと、最近本当に感動したのはいつだったろう?と本気で思うからです。
けっこう10年前とか、20年前とかの嬉しかった事や悲しかったことは覚えているのですが、ここ最近自分ではドイツにも出てきたし、色々なヨーロッパの国にも行って、色々な物を見、食べ、聞いて、感じたつもりなんですが、どれもこれも昔のそれより印象が薄いのではないか?とそしてその原因が小生自身の情報過多にあるのでは?と思うからです。

もちろんそんなものに答えなんぞはありませんし、個人の考え方しだいなのは解っていますが、ふと思ったので書いてしまいました。ただ、小生もに微量ながら情報を扱う者として、皆さんにとって知識欲を刺激する情報または実生活に役立つ情報を追い求めて行き、皆さんにとっても、小生にとってもより良いサイト作りに励みたいと思いますのでこれからもSuzuki Onlineをよろしくお願いします。

というわけで今日の格言。

情報は薬にも毒にもなるので、ご利用は計画的に。

おまけ
ファミコンは思い出の中で。(でも捨てるのはだめよ。)

以上、長文スマソ。

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